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松本白樺工芸とは

大正時代発祥。白樺の木やエンジュ、ケヤキなどの木の特徴をいかした額や置物等の
工芸土産品が代表的ですが
様々なものがあります。

日本の工芸土産の先駆けとしてはじまり
全国的に有名な工芸土産の産地として
知られていました。

松本の白樺工芸品は
鉄道の中央東線が明治40年代に敷かれ
松本入りした都会人の上高地や燕岳などへの
旅行が盛んになり
様々な観光土産品が生み出され
数多くの土産品が全国へ
また海外へも輸出されたことも
ありました。

松本白樺工芸に携わった人は
ピーク時の昭和30〜40年代で
500人を超え
野球大会が行われたこともあります。

1970年以前は松本地方で作られた
白樺工芸品をりんごの木箱に入れて
汽車で全国に発送していたそうです。

現在は職人の高齢化や時代の流れで
2001年に松本白樺工芸連合会は解散して
います。

青木昌平商店のこれから

2018年 登山人形への疑問

私は会社にあった「白樺の登山人形」に心を惹かれました。
山好きな方に人気があり、こんなに小さい物をどうやって彫ったのか、なくなれば松本にはもう作り手がいないと危機を感じ、自分で彫れるようになるにはどうしたらいいかと考えるようになりました。

2019年 農民美術との出会い

そんな折り、大正時代松本白樺工芸とほぼ時を同じくして始まった農民美術の存在を知り、2019年冬に
上田の「農民美術・児童自由画100年展」へ足を運びました。

農民美術の考え方

農民美術には技術だけでなく“素人の感性を育てようとする芸術教育”が含まれていること
こっぱ人形に表現される山本鼎の教え

「自分直接に感じたものが尊い。そこから種々の力(仕事)が生まれて来るものでなければならない。」

を知りました。

長野県農民美術連合会会長でもある、徳武忠造先生が紐解いてくださった言葉をお借りすると

「他人には感じない、自分だけに感じるもの。それを大切にしなさい。それは自分の宝。
生きるバネに、自分の力に変えていきなさい。」

いろんな情報が溢れかえる現代、自分の感じる心や個性を大切に唱えた言葉に心を動かされました。

農民美術の考え方から生まれた「こっぱ人形」

また、徳武先生がこっぱ人形を

「人の心と心を結びつける人形」
「人間を育てることと、こっぱ人形を作ることは同じ」

と大切に捉え、教室を開かれていることも知りました。

私自身も月2回先生の元で農民美術の木彫りを学んでいます。

学ぶことをやめてしまえば、次の世代にこの技術や手法は続いていかない。

限られた時間を最大限生かして後世に残るよう、技術や心を繋いでいきたいと思います。